父の事

こんばんは。

先日父が亡くなり、告別式や初七日も済んで少し落ち着きました。
最近は、四十九日も繰り上げて初七日で執り行うようになりましたね。
現代に合わせて色々、生活改善も必要だと思います。


父は2019年の秋に体調を崩して病院へ連れて行ったら、肺がんの末期で来年の春までいるかどうかといわれました。
その後、緩和ケアのできる病院へ転院しました。
妹が夏まで元気でいられますようにと願掛けして、夏服を買ってきたりしましたが難なくクリアし、いたって元気なので退院を促されたので、一旦家で姉妹交代で両親の面倒を看ていたのですが、そのうち歩けなくなったので実家近くの老健施設へ昨年12月に入所したのですが、コロナの影響で面会もままならず、父の好物の三枚肉の煮つけやらをスタッフに預けて様子を聞くことしかできませんでした。


昨年12月から半年以上会うことができなかったのですが、家に居たがっていたのに、なかば無理やり老健施設へ入所させたので、姉妹でこのまま家族と会わずに逝くようなことになれば、チムヤムン(胸が痛い)と話し合っていました。


ところが不思議なことが起きました。
姉弟7人が揃うという事は滅多にないのですが、その日に限り全員集合で、父が痛みがひどくなったので救急搬送をすることになり、父の意識のある状態で会うことができました。
細かい説明は端折りますが、父が皆を呼び寄せたんだね~と話しました。
父も安心して逝ったと思うし、私たちも会えたので胸のつかえがとれました。
余命半年といわれてから約2年、よく頑張ってくれました。
何の見返りもなく、全身全霊で自分を守ってくれる存在の人がいなくなったってことは、寂しく心細いものです。


お通夜はしんみりしていましたが、告別式が終わった夜は父との思い出話に花が咲きました。
多分、どこの家でも同じ話題で何回も笑うことがあるのではないでしょうか。


次女姉が小学低学年の頃、父に連れられて靴を買いに行った時の事、なぜか姉は雨靴を選んだのだそうです。
靴が1足しか買えない時代、晴れた日も毎日雨靴を履いていた姉はみんなに天気雨靴と言われていたそうです。
次女姉曰く、あの時に私の人生は決まったのだ、農家に嫁ぎいまだに毎日雨靴を履いているというので大爆笑(^-^;


私は高校の時に、クラスに清美という同じ名前の子が私を合わせて5人もいたので、父が名付けたという自分の名前が嫌いで、ある日の夕方父に「なんで清美って、こんな平凡な名前つけたの、おかげで私は迷惑している」と抗議すると、仕事を終えて酒を飲みサーフーフー(ほろ酔い)している父は言った「じゃぁ、ハブとマングースーどっちがいいか選びなさい」もちろんうちなーぐちで、明日改名してこようよいうのだ、その後は大喧嘩で、母が止めに入るほどでした。
私も反抗期だったのでしょうね(^^;


昭和ひとケタ生まれなので、もちろん戦争経験者ですが苦労も多かったと思うが、晩年は幸せだったと思います。
ダジャレが好きでおしゃべりな母に「ユンタクしないで、洗濯しなさい」とか言っていました( ;∀;)
そんなこんなで、「オジー(父)もアンヤタンと笑っているはずよ」と同じ話題で大笑いしたのでした。
葬式の日にこんなに笑って隣の人がなんて思うかね~と言いつつ、遅くまで話は尽きないのでした。
いい供養になったと思います。


駄文、長文を読んでくださった方、ありがとうございました。


父の事



enjoy












同じカテゴリー(その他。)の記事
父の一年忌
父の一年忌(2022-07-31 23:06)

雑貨等の紹介
雑貨等の紹介(2021-05-27 22:52)

桜見てきました。
桜見てきました。(2021-02-15 23:25)


 


ログインカテゴリ一覧

^
Page
Top